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大飯原発再稼働の決定に強く抗議する。

震災で多くの惨劇を目の当たりにし,自分自身の中で何かが変わった。何が変わったのかを言葉で言い表すのが難しいが,何かが変わったことだけは確かである。
私と同様,何かが変わったという感覚をお持ちの方もたくさんおられることと思う。

大川小の悲劇を思い返したり,今なお続くご家族による行方不明者捜しの様子を目にすると,胸が強く締め付けられる。
震災によって多くの命が一瞬で奪われた現実に人間の命の儚さを思い,また自然の前では人間は小さく弱い存在であり,だからこそ小さく弱い人間同士が寄り添い支え合うこと,「絆」を大切にしていくことの意味に気づかされた。
これは,多くの日本人が共有できたことだと思う。

震災によって,日本人は大切なことに気づき,また,あるべき日本社会の姿を見出す切っ掛けを掴んだ「はず」である。
「震災前」「震災後」という区分は,「戦前」「戦後」という時代区分と同等,いや,それ以上に,現代に生きる日本人にとって意味深いものである「はず」である。

しかし,政治は,震災から1年以上経過しても,何一つ「震災前」と変わっていない。
そのことが,昨日の大飯原発再稼働の着手で決定的となった。

再稼働は,命の儚さや自然に対する人間の弱さという価値観に,逆行する。
再稼働は,未だ,人間が自然をコントロールできるという「おごり」の上に立った判断である。
再稼働は,「震災後も震災前と同じ政治をやっていきます。」という政治家のメッセージであり,財界へのラブレターである。 

私は,大飯原発再稼働の政治判断に断固反対し,強く抗議する。

政治は,「民度」,すなわち国民の成熟度を映し出す鏡である。
だからこそ,我々日本人が震災で気づかされた大切なこと,それを政治に反映させていかねばならない。
そうでなければ,亡くなられた方々や,今なお原発事故で苦しんでおられる方々に,顔向けが出来ない。
そうでなければ,汚染された日本を引き継いでいかねばならない次世代にも,顔向けが出来ない。

国民無視で財界に媚びる腐った政治に対して,「否」を示すこと。これこそが我々に今一番求められていることである。
そして,この「否」の意思表示は,なにも,選挙を待たずとも出来ることである。

西ヶ谷 知成

※ 添付の写真は,開所祝いに頂いたお花の一部です。開所に際し,お花に限らず,多くの方から温かいお気持ちを頂きました。全てを紹介できないのが残念です。

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