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弁護士会はどうあるべきか、を考える。

弁護士になって、たかだか10年。

多くの先輩方がいるなかで恐縮ではあるが、「弁護士会はどうあるべきか」について、私見を述べさせていただく。

弁護士会は強制加入団体である。

弁護士業を営む以上、必ずどこかの弁護士会に属さなければならない。

そうすると、当然、弁護士会には様々な考え方を持つ弁護士が所属することとなる。

だから、少数派弁護士の思想・良心の自由を侵害しないよう、弁護士会が特定の偏った見解を表明したり、特定の政治団体を支持するようなことがあってはならない。

しかしながら同時に、弁護士会は、三権分立の一翼を担う存在でもある。

中学の社会科で習ったように、三権分立の一翼である司法権を担う。

三権分立は、権力を分離させたうえで、相互に抑制、均衡を働かせて権力の暴走を防ぎ、ひいては国民の権利や自由を守るという制度。

その一翼である司法権に弁護士会が所属するということは、つまり、弁護士会は他の二権(立法権、行政権)の暴走を抑制し、国民の権利や自由を守る役割を果たすべき存在ということとなる。

三権分立は歴史の中で築かれた英知。弁護士会や弁護士は、この制度に立脚する存在であり、このことを無視して存在しえないこともまた、事実である。

立法権、行政権の暴走に対する歯止めは、当然、政治性を帯びる。

時の内閣(行政権)や国会の多数派(立法権)の姿勢を問題視するのであるから、政治性を帯びるのは必然である。

それを、「弁護士会が政治活動を行うのはだめだ。」と切り捨てるのは、三権分立の一翼を担う司法権の役割を放棄したのと同じ。

司法の立場から立法権や行政権を批判する活動ができないのであれば、司法権を担う在野法曹としての本来的任務を放棄していることになるのではないか。

これでは、政治団体に献金を行う日歯連や司法書士会などと、さほど変わらない存在となる。

「弁護士会が政治活動を行ってはダメだ。」という批判を越えて、三権分立を遵守する立場から、立法権や行政権に対する歯止めの役割を弁護士会が果たさなければ、社会は腐敗する。

このことは、人類の歴史に照らしせば火をみるよりも明らかである。

来る5月10日午後2時より、静岡県弁護士会は、静岡県富士市のロゼシアターにて、集団的自衛権に反対する集会とパレードを予定している。

当然、安倍政権に対する批判の側面を有することとなるが、企画の主眼は、三権分立や憲法9条を守ることにある。

間接的に政治性を帯びようとも、司法権を担う弁護士会として、やらねばならない活動だと思う。

弁護士 西ヶ谷 知成