10代の細かい記憶などほとんどなくなっている40代の今。
そんな中で、細かいけれどはっきりと残っている数少ない記憶のひとつを、最近時々思い出す。
それは、私が大学受験の予備校に通っていた頃の出来事。
河合塾の牧野という講師(現代文)が、ある日の授業の冒頭で話した内容である。
授業を受けたその日は、日本の自衛隊がPKO協力法に基づき、初めて湾岸戦争が行われていた中東に出港した日だった。
牧野先生は、怒りを込めて話した。
「皆さん、しっかりと覚えておいてください。今日が、日本が戦後初めて自衛隊を海外に出した日です。日本が海外で戦争をする道を開いた日です。」
私は当時、この牧野先生の言葉が十分に理解できなかった。
自衛隊は平和維持活動にだけ参加することが前提になっているのだから、そこまで心配する必要はないのではないか、と。
しかし、今となっては、「あの日」に牧野先生がおっしゃった言葉の意味が痛いほどよく分かる。
今日、遂に集団的自衛権行使容認に向けた閣議決定が行われてしまった。
今日は、「あの日」に牧野先生が危惧したことが、実現に向けて大きく進み始めた日となった。
「そんなことはない。安倍さんは厳格な要件を遵守する、積極的に他国を攻めることなどはしないと言っている。中国のことを考えれば日本の安全のためには集団的自衛権も必要だ。」と考える方もいると思う。
しかし、湾岸戦争から20年。平和維持活動のみをやると限定していた「あの日」から、ついに時の政府の判断で戦争に荷担できる状態にまで道が広がった現実を、重く受け止めるべきだ。
このまま容認すれば、道は必ず広がる。そして、いずれは大儀なき他国の戦争に荷担することになる。
集団的自衛権行使容認の閣議決定が行われた今日を、「あの日」にしてはならない。
「2014年7月1日は日本が平和を手放した日だ」と後世に後ろ指を指されないよう、今を生きる人間として、既に開かれてしまった道が広がらないように、そしていずれはその道が閉鎖されるように、尽力していきたい。
弁護士 西ヶ谷 知成