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精神の自由。-年頭所感-

「三島市が,例年行ってきた平和集会への後援を拒否。」

「さいたま市公民館が,同館で活動する俳句会会員の『9条守れ』という趣旨の俳句を『公民館たより』に掲載することを拒否。」

「日本ジャーナリスト会議とマスコミ九条の会が予定した平和をテーマにした集会が、会場の明治大に開催一週間前になって利用を断られた。」

昨年はこのような事件が時々新聞の片隅に掲載されました。

私はこの種の事件が続くことに,社会がおかしな方向へと変わっていく「潮目」を感じましたが,それほど大きなニュースにはならなかったところをみると世間の関心は薄かったようです。

自分には関係ないし,この程度のことはたいした問題ではない,というところでしょうか。

私の座右の書の一つ,『哲学の冒険』(内山節著,平凡社)に出てくる一節。

「自分は不自由だと感じることができるっていうのはむずかしいことなんだね。少しお金があれば遊ぶこともできるし,好き勝手にしていることだってできる。だから誰でも自分は自由だと思っている。ところが,本当の自由とは何か,を考えることのできるような精神の自由を,誰もが失っているんだな。・・・自分は不自由だと思える人の方が,精神は自由なんだと思うね。」

「自分は自由だと思っている人は,自由とは何かなんて深く考えないだろう。逆にいまの不自由さを知っている者が自由の尊さを知っている。」

上に挙げたニュースに象徴されるように,私たちの自由が徐々に制約されてきている今の日本社会。

そして,それを何とも感じない,精神の不自由が蔓延する今の日本。

これでは社会の発展は望めず,明るい未来は切り開けません。

集団的自衛権行使や憲法改正への地ならしが行われるであろう2015年。

今年は特に平和や自由に対する制約に敏感な自分でありたいと思います。

弁護士 西ヶ谷 知成