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秋葉原事件が社会に投げかけたこと。

少し前の話になるが、ある新聞記事のことが未だに頭から離れないので、ブログに書く。

記事は、9月14日付朝日新聞(朝刊)。

秋葉原事件について高裁でも死刑判決が出された際に掲載された、
中島岳志北大准教授のコメント。

そこには次のようなことが書かれていた。

「事件は,毎年三万人以上が自殺する社会に一直線でつながっていると思う。

暴力が自らにではなく外に向かい、無差別殺人を起こした。「特異な人物による事件」とは思えない。

(被告人の)手記には「誰かのために何かをさせてほしい」と思っていたとある。

派遣労働で「おまえの代わりはいくらでもいる」突きつけられ続けた。
誰かのために存在しているという「かけがえのなさ」はなかった。

彼は事件前に自殺しようとした後、車を停めた駐車場の管理人に
「料金は年末まででいい」と言われ、働いて返すのが生きる目的になったと振り返っている。
ちょっとした人とのつながりが、彼にとっては「ミラクル」だったのだ。

利害関係だけではない人との結びつきを、どれだけ社会に作れるか。
これが事件が投げかけた問いだ。
彼に似た思いを抱えた人は誰の身の回りにもきっといる。
私たちは彼に声をかけ、関係をつくろうとしているだろうか。

あれだけ騒がれた事件だが、もう誰も被告をみていない。
それでは事件の意味は生かされない。

彼は死刑が執行される時も、後悔しないだろう。
社会に希望はないと思っているからだ。

5分だけでも彼に会い、「君が死ぬのを悔やむような社会を僕はつくりたい。」
と言いたい。

あれだけ騒がれた事件だが、もう誰も被告をみていない、とのコメントが特に胸に突き刺さる。

秋葉原事件以降,派遣労働者を巡る環境は根本的には変わっていない。
10月1日から施行される改正派遣法も、登録型派遣の禁止が盛り込まれず、「骨抜き」となった。
自殺者は毎年三万人を超え、歯止めがかからない。

社会は,秋葉原事件を正面から受け止めていないのではないか。

第二,第三の秋葉原事件がいつ発生してもおかしくないとさえいえる現状。
こんな社会を子どもたちに引き継がせるのは、本当に忍びないと思う。

生き甲斐を見出せる社会をつくることは容易ではない。
しかし、せめて、人が自暴自棄にならない社会、利害関係を超えたつながりを大切に出来る社会を目指したい。

そのような思いを、日々の仕事の中で少しでも反映させていけたらいい。

弁護士  西ヶ谷 知成