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時代を逆走する石原政治。

多忙で社会に目を向ける時間が余りなかった近頃。

しかし,聞き捨てならない一言を耳にしたので,ブログを書く。

都知事を辞職し国政に進出する石原氏が発した言葉,憲法の「破棄」。

石原氏は,アメリカから押しつけられた,汚い言葉で書かれた憲法は
「破棄」して,憲法を一から作り直すことを,国政進出における公約として掲げた。

現行の日本国憲法は,石原氏が言うような酷いものなのだろうか。

現行の憲法の一番の基本理念は,「個人の尊厳」(憲法13条)。
国家は個人の幸福のための手段であり,国家のために個人がいるのではない,という理念。
これは,今,世界中のほとんどの憲法の基本となっている理念である。

そして,この個人の幸福を守るために,憲法は,自由権や生存権などの
様々な権利を,国民に付与している。

さらに,太平洋戦争で多くの国民が国家のために命を落とした教訓から,
国民の命を守るべく,非戦を誓った憲法9条。

このように,一貫して国民の権利,自由を守ることに軸足を置いているのが
今の日本国憲法。

私は,中高生時代にこの崇高な理念に感動したことを切っ掛けに,
大学は法学部を選び,ほとんど勉強しなかった大学時代も,憲法の授業
だけはほぼ欠かさずに出席した。その延長線上に今がある。

今,憲法を「改正」しようとする政治家が政権を握る可能性が高くなっている。
マスコミも,これらの勢力をこぞって宣伝。

しかし,これらの政治家が憲法を「改正」しようとする真の狙いは,国民の権利を
制限し,国家が国民を支配しやすい世の中を作るという点にあることは,
間違いないことである。

その点を見逃してはならない。

ただ,憲法を「改正」するには,国民投票による過半数の賛成と,衆参両議院
議員の各3分の2の賛成とが両方必要という,高いハードルがある(憲法96条)。

このように高いハードルを設けているのは,政治家が憲法を簡単に「改正」して
国民の権利をたやすく制限してしまうのを防ぐためである。

石原氏は,このハードル自体を無視することを狙い,「改正」ではなく「破棄」
という言葉を用いている。

余りに乱暴な発想といわざるを得ない。

石原氏が政権をとり,憲法を「破棄」した後には,大日本帝国憲法下の
時代のような,国家のために国民が犠牲となる世の中が待っている。

そして,他国を侵略する国になる。

いつか来た道を逆走する石原政治。

この危険なリーダーシップを手放しで賞賛するのは,余りに脳天気である。

弁護士 西ヶ谷 知成