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政教分離の原則と改憲論議について。

安倍首相は、4月21日に麻生太郎副総理ら3閣僚が靖国神社を
参拝したことについて容認し、中国や韓国からの批判に対しては、
「脅かしに屈しない」と発言した。

そもそも、政治家の靖国神社参拝については、靖国神社がA級戦犯を
合祀していることから、A級戦犯を「神」とする神社に参拝することが
戦争への反省を欠いているとされ、日本に侵略されたアジア諸国から非難される。

しかし、問題はそれだけではない。

政治家、特に閣僚が靖国神社を参拝することは、政治と宗教との分離を
定めた憲法20条3項に違反するのではないか、
という非常に大きな問題がある。

そもそも日本国憲法は、政教分離の原則を規定し、政治と宗教とを
混同させずにきっちりと分けることを、国家権力に対し要求している。

これは、歴史的にみて、国家権力が特定の宗教とが結びつくことによって、
他の宗教を弾圧するなどの行為が行われることがよくあったことから、
そのようなことが行われないようにするために規定されたものである。

事実、大日本帝国憲法下においては、神社神道は実質的に国教化され、
国家権力が他の宗教を弾圧したという歴史を、日本は経験している。

そこで、このような歴史を反省し、政教分離原則を憲法に定めることで、
特定の政治家が信仰している宗教以外の宗教を守ることが決められたのである。

これまで、県知事が靖国神社に玉串料を奉納したことが政教分離の原則に
反し違憲であると最高裁で判断されたことがあり、また小泉首相の
靖国神社参拝についても大阪高裁で違憲性が言及されている。

このように、政教分離原則の規定が憲法に明記されているからこそ、
特定の宗教が特別扱いされたり、国家権力によって他の宗教が弾圧される
という事態は、今のところ生じていないのである。

「脅かしに屈しない」などと勇ましく発言し、平然と憲法を無視して、
自己の思想信条を国政に持ち込む安倍内閣。

いま、このような平気でルールを破る人たちが、憲法を改正して
自分たちにとって都合のいいルールを持ち込もうとしているのである。

人間の信仰の自由、心の自由を守るためにも、改憲を絶対に阻止
しなければならないと強く思う、今日この頃である。

弁護士 西ヶ谷 知成