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オリンピック柔道と原発

毎晩オリンピックを楽しませてもらっている。
いや,殺伐とした日々のなか,深夜のオリンピック観戦に支えられて生きているとさえいえる。
終わってしまったら抜け殻になってしまうかも・・・。選手の皆さん,有り難う。

ただ,試合を見ていて,何となくすっきりしない,というか,腑に落ちないことがある(さんざん楽しませてもらっていながら恐縮ですが・・・)。それは,特に,「柔道」を見ていて感じることである。

判定がころころ変わったり,判定が取り消されたり,判定の基準が曖昧だったり・・・。
それでも選手は,審判に文句を言ったりしていない。
そういう曖昧さも受け入れつつ,試合に臨んでいるのだろう。
ある意味,大人にならないとやってられない競技なのかもしれない。

そんなことを思いつつ,近時の原発関連のニュースについて考えてみる。

「どっちが勝ったか(正しいか)判定がまだ出ていないけど,そのまま試合を続けた方がスポンサーが喜ぶから,と会場の大ブーイングを押し切って試合再開。」

・・・安全性の検証が不十分なまま大飯原発再稼働。

「なんと,試合を決める決定的瞬間を,審判が見て見ぬふり!?」

・・・志賀原発の活断層,国が審査見逃し(中日新聞7.30朝刊)。

「まさか!審判長が一方の選手の応援団から選出されている!!」

・・・今回発足する原子力規制委員会の委員長に「原子力村の村長」田中俊一氏が就任予定(中日新聞7.31朝刊社説)。

近時のニュースをほんの一部並べただけで,柔道の判定の曖昧さが全然かわいいものに見えてくる。

こんなことが平気でまかりとおるのであれば,法治国家日本は終わりである。

そして,こんなことを平然と受け入れることが出来る方は,かなりの「大人」である。

西ヶ谷知成