もしあなたが,小中学生から「国って何のためにあるの?」なんていう,とんでもない質問をされたら,どう答えますか?
「昔からあるものだよ。歴史の中で出来たものだよ。」,なーんて答えても,正面から回答したことにはなりませんよね。
質問をした小中学生も,何となくすっきりしない顔をするのではないでしょうか・・・。
ボクは,こう答えます。
「国家は,国民を幸せにするための道具(システム)に過ぎない。」
国家は国民を幸せにするための手段であり,それ自体が目的ではない。
国家を維持する目的は国民を幸せにすること以外にないのだ,と思っています。
今,安倍政権が推し進めている集団的自衛権。
国民を戦場に送るための議論です。
国際社会の平和のために,日本も戦場に人を出さねばならない。
それこそが,日本の安全や日本が国際社会で名誉ある地位を占めるために必要なのだ,という発想です。
一見もっともな考え方のようにも思います。
しかし,その考え方は,国際社会で日本が認められるためには国民が戦場で血を流さねばならない,国家のために国民が犠牲になっても仕方がない(犠牲になるべきだ),という発想に基づくものです。
このような発想は,国家の存立のためには国民の犠牲もやむを得ない,国家のために国民がある,という考え方に依拠するものであり、国家は何のためにあるのか,という問いに対するボクの答えとは真逆の発想です。
国家の存立や示威行動自体を目的にすると,国民の命はないがしろにされる。
このことは,太平洋戦争を引き合いに出すまでもなく,人類の歴史において多くの人命を失う悲劇を繰り返した中で得た教訓です。
集団的自衛権は,国際秩序,ひいては国家の存立自体を目的とするものであり,そのためには人命を犠牲にしても構わないと捉える考え方。
ボクは,本末転倒だと思います。
弁護士 西ヶ谷 知成